Vol.5 西新町の人と文化(2) 修猷館高校と西南大学

2023年5月15日月曜日

西新の歴史

 中学修猷館:明治12年(1879年)向陽社(後の玄洋社)が「向陽義塾」設立しましたが、二年後の明治14年に閉塾しました。同年、向陽義塾を引き継ぎ、旧福岡藩主黒田家により「藤雲館(法律専門)」が設立されました。そして同年の明治14年(1881年)「中学校教則大綱」が制定されます。入学資格を小学校中等科卒業としました。初等中学科(修業年限4年)と高等中学科(修業年限2年)の2段階編制となっていました。その後中学校の教育課程を制定しました。明治18年(1885年)侯爵黒田長溥・金子堅太郎と福岡の旧藩士の尽力により、「藤雲館」を廃し、十四年振りに修猷館の名を再興することが決定し、「福岡県立修猷館」を開館。黒田家の寄付により藤雲館の校舎・什器一切が引き継がれました。明治22年(1889年)福岡県立尋常中学修猷館と改称し、隈本有尚館長、金子堅太郎、栗野慎一郎らの尽力により旧藩校修猷館跡である大名町堀端(現・中央区赤坂1丁目)に再建・移転しました。明治27年(1894年)六光星の徽章を制定しました。その後、明治33年(1900年)大名町から西新町(現在の場所)へ移転しました。

明治40年修猷館本館


             現存する旧正門

※こぼれ話

 大正6年(1917年)福岡中学(現福岡高校)が修猷館の寄宿舎の一部を借りて開校した。


*著名な中学修猷館の卒業生

安川第五郎(東京オリンピック組織委員会会長)  広瀬正雄(元郵政大臣)  広田弘毅(政治家)  緒方竹虎(元内閣官房長官・元北海道開発庁長官)  中野正剛(ジャーナリスト)  夢野久作(小説家)  梅崎春生(小説家)  葉室鐵夫(元競泳選手(ベルリン五輪代表))


修猷館高校:昭和24年(1949年)福岡県中学修猷館から福岡県立高等学校修猷館に変わりました。

戦後の学制改革により、定時制・通信制課程もありましたが、平成14年に定時制・通信制課程は終了しました。また、ラグビー部では福岡県立福岡高等学校と毎年定期戦を行っています。福岡高校が旧制福岡中学時代〔大正6年(1917年)〕に修猷館の寄宿舎の一部を借りて開校したことや、同じく旧制福岡中学での昭和2年(1927年)に火災校舎全焼時の福中復興支援を全校で行ったことや武士の町福岡の代表校修猷館とその対照に商人の町博多の代表校福岡といったことを背景に両校の関係は特別に深い関係が続いています。

*修猷館高校の著名な卒業生

宇能鴻一郎(小説家)  原田義昭(政治家)  山崎拓(政治家)  小川洋(福岡県知事)  石橋顕(セーリング選手(北京五輪代表)神田紅(講談師)



西南学院

 大正5年(1916年)私立中学西南学院を福岡パブテスト神学校の校舎を利用して開院しました。大正7年(1918年)早良郡西新町に移転しました。大正10年(1921年)財団法人私立西南学院財団を設立し、西南学院高等部(文科・商科)を設置し、中学西南学院の呼称を西南学院中学部と改称しました。

 昭和6年(1931年 )リンドバーグ夫妻来訪 昭和12年(1937年) ヘレン・ケラー女史来訪。昭和14年(1939年)西南学院商業学校を設置しました。事後、西南学院商業学校は西南学院工業学(昭和19年)・西南学院商業学校(昭和21年)と変わり、昭和23年新制の定時制高校に切り替えられ、昭和36年(1961年)に廃止されました。

 昭和24年(1949年)西南学院大学学芸部(神学専攻・英文学専攻)を開設しました。昭和26年(1951年)財団法人私立西南学院財団を学校法人に組織を変更しました。昭和37年(1962年)夜間部が廃止されました。この間、勤労学生の就学に大いに貢献があったと言われています。

 昭和43年(1968年)~昭和47年(1972年)は国際反戦デーに全国大学と同様、学内で火炎瓶が飛んで混乱しましたが、大部分の学生は過激派学生を諫めたと言われています。

昭和61年(1986年 )キング牧師夫人C.S.キング来訪しました。

福岡パブテスト神学校(大名町)

1921年完成の西南学院本館(西新町)


中村 哲

 紛争の続くアフガニスタンで長年にわたって支援活動をしてきた医師の中村哲氏は、西南学院中学校を1962年に卒業し、同校在学中にキリスト教と出会い、クリスチャンになりました。卒業後も西南学院を愛し、帰国時には度々、同学院に足を運び、生徒や学生らにアフガニスタン現地での活動について話してくれました。また、同学院が創立100周年を迎えた2016年には、記念式典で講演も行っています。


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