西新町風土記VOL.11

2020年8月10日月曜日

西新の歴史

 



Vol.11(公民館・会館)

西新公民館





昭和24年「社会教育法」が制定され、福岡市に於いても社会教育活動の場として法令による公民館が登場することになりました。福岡市では、昭和26年に市議会で「公民館設置」の議案が可決され、翌27年に原公民館他9館が開設されました。西新公民館は昭和28年に開設されました。

当時専用の建物がありませんでしたので西川俊元氏の応接間を借用して開設事務が始まりました、2年後の昭和30年でも西新小学校の職員室の片隅を借用して、執務する状態でした。昭和33年に初めて現在地にあった西市税事務所が管理していた廃屋同然の木造家屋を改造して専用の建物として使用することになりました。自治連合会や婦人会の活動の場として、また公民館主催事業として講習会や講座等が開かれ、活動が本格的になってきました。しかし、西新地区の発展とともに、昭和36年には修猷館正門東側の2階建に移り、さらに旧国道202号(現明治通り)の拡張の際、西新2丁目の空き地(地下鉄入り口)に2階建てプレハブ仮館舎に移り、昭和48年に現在地に開館しました。平成7年のユニバシヤード西新校区ではサンマリノ共和国(イタリア半島中東部)・ニジェール共和国(西アフリカ)を応援し、そうめん流し等で接待しました。



高取公民館



昭和22年、敗戦による混乱する秩序を正し、道義を高揚するため各校区に社会教育協議会が組織されました。昭和26年、高取校区も高取小学校発足とともに社会教育協議会が組織されました。しかしながら、伝統と歴史を持たない校区は各種団体の連絡調整は勿論、社会教育の実情は必ずしも喜ぶべき状態ではありませんでした。この様な中で昭和28年高取小学校内に開館しました。伝統を作るべく、昭和31年には高取音頭が作成されました。以来、昭和「30年誌、50年誌」を発行する等地域活動の拠点となりました。平成2年に高取1丁目に新た専用公民館が建ち、平成29年現在地に新築移転しました。公民館活動で特筆するのが国際交流事業です。平成7年のユニバシヤード大会において原校区とともにナイジェリアを応援・接待しました。これが切掛けで外国人に週2日の日本語教育、月1回の華道・茶道の文化交流を実施するようになりました。平成30年で23年間、4万人以上の外国人との交流があります。


百道公民館



昭和30年百道小学校設立から11年、昭和41年に百道小学校の一角を借り、開設されました。翌昭和42年に百道2丁目に館舎が完成しました。この間、室見小学校の分立(昭和34年)等あり、校区の変更がありました。また、自治連合会・婦人会・老人クラブが西新校区からの独立は昭和40年でした。昭和44年には「百道校区民の歌」を募集し、そして公民館事業の主催事業は老人大学と青年学級が柱でした。青年学級から校区青年団が生まれ盆踊り大会等主催し今日の校区夏祭りの基礎となりました。平成31年2月から百道小学校の体育館と同居しています。前にある松は、百道小学校が大事にしている「大王松」です。門松は毎年地域の方々がボランティアで作成している。



ももち自治会館



西新2丁目にある。昭和28年に百道町自治会を創立しました。当時は町世話人制度でしたが、300を超える世帯数で町の運営も町世話人のみでは支障をきたすようになりました。昭和32年に各戸月100円を拠出(年1200円)してもらい、西鉄不動産の土地を譲りうけここに百道自治会館を建設することが出来ました。現在は西新2丁目の自治会で管理している。



五丁目会館




高取2丁目にある。旧西新5丁目の通りで三瀬街道にいたる道路として整備され、新道呼ばれていた通りにあるため五丁目会館となっている。旧道は紅葉山を通っているため勾配がある。現在、法人化され、地域のサークル活動の拠点となっている。



Vol.12(西新と近郊の歴史その1 2020年9月中旬掲載予定に続く)